はたして君は、気づいていたのだろうか
僕がどれだけ、君のいる世界を守りたかったのか
君は、知っていたのだろうか
浮雲の居場所は、大空だけだということを

『To 雲』

背凭れに体重をかけると、ぎしり、と椅子が音をたてた。
中途半端な高さの目線で、雲雀はそっと右腕を持ち上げる。
彼は伸ばした腕を無言で眺め、指の間から見える扉をただじっと見つめた。
ボンゴレの屋敷内に設えられた雲雀の自室。
この部屋を訪れる人間は、極限られた人物だけだった。
その内の一人を思い出し、雲雀は腕を静かに下げた。
扉越しに呼びかけてくる声が、好きだった。
遠慮がちに、軽くなされるノックの音が好きだった。
彼の、沢田綱吉の持つその空気が好きだった。
「それなのに君は、もうここにいない」
微かに呟かれた雲雀の言葉を聞くものは、この部屋にいない。
最初は、単なる興味だった。
強いのか弱いのかわからない、そんな彼に興味がわいた。
しかし共に戦ううちに、共に時間を過ごすうちに、彼の傍を望むようになっていた。
その温もりを、その優しさを、その笑顔を、守りたいと思った。
それなのに。
「なぜ死んでしまうんだ。綱吉」
ぎ、と椅子の軋む小さな音が響く。
机に肘をついた腕に額を当て、雲雀は瞳を伏せた。
その時だった。
「ヒバリサン、ヒバリサン」
どことなく不自然な発音で、雲雀は自分の名を呼ぶ声を聞く。
聞きなじんだその声は、雲雀が傍に置く鳥のものだった。
雲雀のことを「雲雀さん」と呼ぶのは、ただ一人だけ。
雲雀は立ち上がり、小鳥の止まる棚へと歩みを進める。
―雲雀さん
懐かしいと感じるほど昔ではないはずなのに、そう呼ぶ声が脳裏を過る。
雲雀が近寄ってくると、小鳥は名を呼ぶのを止めた。
雲雀は棚の一番上の引き出しを、そっと引く。
そこには一通の手紙が入っていた。
見覚えのない白い便箋には、差出人の名も宛名もない。
雲雀は封を開け、僅かに瞠目した。
差出人が記されていなくてもわかる、そこに並ぶのは綱吉の文字だった。

『雲雀さんへ
雲雀さん、この世界に巻き込んでしまってすみませんでした。
でも、雲雀さんが一緒に戦ってくれて、雲雀さんが一緒にいてくれて
本当に心強かったです。
俺は、たくさんあなたに助けられました。
俺はあなたのおかげで強くなれたから。
そのおかげで守れたものが、たくさんあるから。
ずっと、ちゃんとお礼が言いたかったんです。
いつもいつも、力を貸してくれてありがとうございました。
一緒に、たくさんのモノを守ってくれて、ありがとうございました。    』

手紙を読む雲雀に、いつもと変わらぬ優しい微笑みを浮かべた綱吉が見えた気がした。
僅かに口の端を上げ、雲雀は丁寧に手紙を封筒にしまう。
「全てを守ったのは僕の力じゃない。君の力だよ、綱吉」
守るために強くなる、そんな優しいマフィアのボス。
最初はその称号があまりに似合わないと感じたが、今では違う。
彼にこそ、ボスの座が相応しい。
「僕の方こそ、君に伝えたかったことがある」
雲雀は、窓の外に広がる空へと視線をやった。
夕闇に染まる大空は濃紺で、世界の全てを包んでいた。
「君だけが、僕の主だ」
初めて、守りたいと思った人よ。
初めて、傍にいたいと願った人よ。
君の笑顔が途切れぬように、僕はここで生きることを決めたのだ。
だから。
「お礼なんて、いらないよ」
ただ君が、笑顔でいてくれさえすれば、他に何もいらなかったんだ。
雲雀は、軽く瞳を伏せた。
これからまだ、やるべきことが残っている。
綱吉が守りたかった世界の為に。
目を開けた雲雀の瞳からは、先ほどまでの失望の色は消えていた。

守れなかった、大切な君
今度こそ守ってみせる
君の守ったもの、君の守りたかったもの、君の大切なもの
その全てを、この手で