―いーち、にーい、さーん
懐かしい声が、聞こえた気がした。
『心送り』
屋上に、暖かな午後の日差しが降り下りる。
見上げた空はどこまでも澄んだ青だ。
ツナは食べ終わった弁当を片づけると、隣に座る獄寺に向かい合う形に移動した。
試合が近い山本は、今日も昼の練習があるそうでここにはいない。
今屋上にいるのは、獄寺とツナの二人だけだった。
「ほんと、今日いい天気だね」
空の青さに感嘆して呟くツナに、獄寺が応じる。
「そっすね。昨日あれだけ降ってやがったのに」
獄寺が片手の指で挟んだ煙草から、細く煙が空へと伸びる。
その行方を何とはなしに眼で追いながら、ツナはあ、と小さく声をあげた。
「どうかしましたか、十代目」
獄寺の問いかけに曖昧に答え、ツナはひょいと立ちあがる。
口元にいたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべ、獄寺に向って言葉を紡いだ。
「獄寺君、『影送り』って知ってる?」
「影送り……すか?」
首を捻る獄寺に、ツナはくるりと背を向けた。
獄寺も立ち上がり、ツナの隣に移動する。
アスファルトの上に、二つの影が並んだ。
獄寺が口に煙草を咥えたまま、不思議そうな表情でツナの顔を窺う。
ツナは「俺の言う通りにしてね」と前置きをしてから影へと目を落とした。
「えっと、瞬きしないで10秒間、この影を見ててね」
「瞬きしないで、10秒間……すか?」
いまいちよくわからない獄寺が聞き返し、ツナがそうだと笑って頷いた。
そして、いくよ、と小さく声をかける。
「いーち、にーい、さーん……」
ツナの声が、ゆっくりと時を読み上げる。
「ろーく、なーな……」
獄寺も、ツナも、決して瞬きをせずに二つ並んだ影を見つめる。
「きゅーう、じゅー!獄寺君、そのまま空を見て」
言われたとおり獄寺は顔を上げた。
そして。
「わ……」
小さく声を上げ、危うく落としそうになった煙草を慌てて指で挟む。
深い青に染まる大空、その真ん中にぽかりと浮かんだ白い影。
自分と、隣で笑う彼の姿。
ツナも顔を上げ、その白い影に瞳を細めた。
「これが影送り。すごいでしょ」
「はい、すごいです」
素直に感動の言葉を述べる獄寺は、その影が見えなくなるまで空を仰ぎ続けていた。
影送り。
それは、大空へと影を送る子どもの遊び。
青い青い空へと送る、黒から白への奇跡をもって。
まるで遠く離れた人に、自分の影を送るように。
「きれい、ですね」
自然に紡がれた獄寺の言葉に、ツナはこくりと頷いた。
こつり、と小さな足音が響く。
あの時と同じように煙草を口に咥えて、獄寺は視線を足元に投じた。
どこまでも高く広がる空はあの日、二人で見上げた空と全く同じ色をしていた。
獄寺は煙草を指に、そして眼は自分の影にやった。
「いち…に…さん…」
自分の母語ではなく、彼とともに過ごしたこの場所の言葉で。
優しくて暖かくて、そんな大切な思い出が詰まったこの言葉で、そっと数を数える。
「ご…ろく…」
―ろーく、なーな、
懐かしい声が、聞こえた気がした。
耳の奥に響くそれは、片時も忘れたことのないあの人の声。
「…じゅう」
ゆっくりと顔を上げた先、獄寺の目には白い影が映っていた。
青い空の真ん中、一つだけ浮かぶ白い影。
その影に、自分の想いを乗せて。
大空へと送る。
そちらは寒くはないですか。
貴方は泣いていませんか。
寂しくは、ないですか。
心を送る、影とともに。
「十代目……」
空を見上げる獄寺の瞳が歪んだ。
ぱた、と落ちた雫は、アスファルトに小さな染みを残して消えていった。
ずっとお傍に、と決めていました
でもこの命を送ったら、貴方はきっと悲しむから
だからこの影とともに
この心を送ります
いつも心は、貴方の傍に
貴方の隣だけが、この心の在るところ