最初は、ただ自分の利益のみを考えていて
最初は、ただ彼を利用することだけが目的で
いつからだろう
彼の笑顔を、望むようになったのは

『一輪の花』

「あ」
小さな声をあげて、クロームがその歩を止めた。
土手の上を一人歩く彼女に、しかし答える声がある。
『どうかしましたか、クローム』
自分の脳裏に響くその声に、クロームはひょいとしゃがみ込んだ。
そして足元の草むらを指さして、小さく答える。
「たんぽぽが」
そこにはやや季節はずれのたんぽぽが、地面近くに咲いていた。
『たんぽぽ?』
それがどうしたのだと言外に問うと、クロームはほんの少し笑みを口元に乗せて言った。
「ボスにあげたら、喜んでくれるかな、って……」
彼女がボス、と呼ぶのは沢田綱吉ただ一人だ。
最初は骸の命で彼についていたはずの彼女は、随分と彼に心を開いている。
その変化には、骸も気が付いていた。
『クロームは彼のことを、随分と気に入っているのですね』
骸の言葉に、クロームが顔を上げた。
姿のない骸を、まるで見上げるようにして言葉を紡ぐ。
「私は、ボスのことが好き」
だって彼はあんなにも優しくて。
だって彼はあんなにも温かくて。
だから、好き。
でも。
「でも、骸様」
クロームに呼ばれて、骸は彼女へと視線を向けた。
その瞳が骸の姿を映し出す。
「骸様もボスのこと、好き、でしょ?」
『な、にを……』
骸は突然のクロームの言葉に、息を呑む。
それでも彼女は、続けた。
どこか嬉しそうに。
「骸様も、犬も、千種も、皆ボスのことが好き。でも、骸様と私の好きは、ちょっと違うの」
私の「好き」は、親愛の印。
傍にいると優しい気持ちになるから、彼が笑うと、私も温かな気持ちになれるから。
だから、彼の望むことは何でもしてあげたい。
たくさんの優しい気持ちが、集まってできたもの。
「骸様と私の「好き」はとてもよく似ているけれど、骸様の「好き」はボスだけへの特別な「好き」でしょ?」
それは大切がたくさん集まってできた、特別な「好き」。
ずっと骸と共に在るクロームには、彼の気持ちが少しだけわかった。
骸が綱吉と共にいる時、骸の空気が僅かだけ優しくなる。
その眼差しが彼を見つめる時に和らぐのを、クロームだけは知っていた。
クロームの言葉が、骸の中で反芻される。
何時の頃からか、彼の存在が至極気になっていた。
ただ利用価値があるという思いから、少しずつ変化した心。
彼の声を、もっと聞きたい。
彼の笑顔を、もっと見たい。
彼の傍に、もっと―
『僕が、沢田綱吉を……』
それは荒れ地に咲く、一輪の花のように。
彼のことを想うと、ほんの少しだけ世界が優しく見える。
この荒廃した世界に、僅かな光が射すように。
それが何という感情かは、わからないけれど。
「骸様?」
『クローム、その花を彼に持っていきましょうか』
骸は彼女の足元に咲く一輪のたんぽぽを示して静かに言った。
『きっと、喜ぶのではないですか?』
それは彼女からの、最初の問いかけに対する答え。
しかし骸自身も、彼が、沢田綱吉が喜んでくれるといいと思った。
あの優しい笑顔を、見せて欲しいと。
このよくわからない気持ちは、ゆっくりと考えていこうと思う。
この感情は、悪くない。
むしろ心地よい程にそれは。
「はい」
クロームが笑う。
そして大切に、大切に、タンポポの花を手折った。
大好きな彼の、笑顔の為に。

まるで花のようだと思った
弱くて、儚くて、だけれど本当は強い一輪の花
そんな君に心を惹かれたんだ
そんな君を、僕は
初めて守りたいと思ったんだ
この感情の名を、いつか知りたいと、そう思ったんだ