彼岸花。
その花は別名、「人死花」というのだと昔誰かが言っていた。
『彼岸の花』
がさり、と薄いビニール袋が音をたてる。
店を出ると、秋口にさしかかり涼しさを増した風が、柿本千種の頬をなでた。
自分と犬、そしてクロームの三人分の夕食が入った袋を見つめ、彼は一つ溜息をつく。
(めんどい)
夕飯の買い出しは毎日行われるじゃんけんで決まる。
今日は運悪く千種が負け、こうしてコンビニまで足を運ぶことになったのだ。
頭上には、半分より幾分欠けた月が煌々と輝いている。
夕飯、というにはいささか遅い気がする時間帯だ。
千種が再び溜息をつき、二人の待つ場所へ帰ろうと足を運ぼうとした時だった。
「え?」
後ろから僅かに息を呑む気配と、小さな声がした。
千種が振り返ると、そこには見覚えのある少年の姿があった。
「……ボンゴレ」
千種と同じように片手にビニール袋を提げたツナが、目を見開いて立っている。
声をかけると、ツナは何処か怯えを含む動作ながらも、千種へと近づいてきた。
千種はどうして声をかけてしまったのかと、今更ながら後悔する。
慣れない人間との会話はめんどくさい。
「えっと……買い物?」
ツナが恐る恐る問いかける。
結構な身長差があるので、かなり見上げなければ相手の顔を窺うことはできない。
千種は空いている手で眼鏡を押し上げながら短く答えた。
「夕飯」
「そうなんだ」
帰る道が同じ二人は、そのまま並んで歩いて行く。
暫くして千種が、ツナへと質問を返した。
「そっちは?」
「え?あ、俺?俺はランボがプリン食べたいって言い出して、結局全員分のデザート買いに行かされるはめに
なったんだ」
困ったように笑って、ツナはプリンやヨーグルトの入った袋を持ち上げる。
お互い大変だね、と言っているような瞳に、千種も小さく笑った。
「あ、笑った」
途端驚いた表情を浮かべるツナに、千種は首を捻る。
「何?」
「え、いや、笑ったの初めて見たからさ……ちょっとびっくりした」
はは、と照れたように笑うツナだが、千種はそんなツナを見ていなかった。
笑った?
誰が?
俺、が?
無意識に笑っていた事実に千種本人が驚いているとは知らず、
ツナはきょろきょろと周りを見回していた。
もう千種の隣も、怖くはない。
「あ」
ツナがあげた小さな声で現実へと戻ってきた千種は、ツナの姿を探す。
先ほどまで隣にいた彼は、少し離れた田のあぜ道にいた。
「何かあるの?」
背後から覗き込むと、そこには赤い花が複数の塊に群れて咲いている。
千種へと顔だけ振り向いたツナは、嬉しそうに頷いた。
「もう彼岸花が咲く季節なんだ」
ツナが花へと視線を戻し、呟く。
千種はその彼岸花から目を逸らすことが出来ないでいた。
その色はまるで血の色だ。
もう見慣れてしまった、人間の血。
だからこの花のもう一つの名前は「人死花」というのだ、と昔誰かが言っていたのを急に思い出す。
千種の様子がおかしいことに気づいたツナが、肩越しに振り返る。
「どうか、した?」
「……ボンゴレはこの花の別名、知ってる?」
目は花から離さずに、千種は口を開いた。
ツナは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに小さな笑みを浮かべる。
「知ってるよ。灯籠花だろ?」
「とうろう…か……?」
聞き慣れない単語を答えたツナに、千種は困惑の滲んだ声で問い返す。
「うん。彼岸花の色ってさ、まるで明かりみたいだろ?だから灯籠なんだって」
千種は改めて足元に咲く赤い花を見る。
それは血の色だ。
しかし彼の言葉を聞いた後のそれは、確かにやわらかな炎の色に見える。
道を標す灯籠のような。
そして唐突に気づいた
この赤は彼が額と拳に灯す、全てを包む優しい炎ともよく似ているのだ。
道を見失わないように、と灯された暖かな光。
千種はくすり、と笑みを浮かべた。
「うん。確かに灯籠のようだ」
この花も、そして目の前のこの少年も。
暗闇にいた自分たちを導くように、闇の導のように優しい光を湛えている。
「でしょ?」
ツナが笑顔で振り返り、そのまま歩きだした。
千種もその後に続く。
そして、三つ目の曲がり角でツナが足を止めた。
「じゃ、俺こっちだから。えっと……」
ツナが言いよどむのを見て、千種はまだ自分がちゃんと名乗っていなかったことを思い出す。
「柿本千種」
名を告げるとツナは、ぱっと顔を上げて笑った。
「じゃあ、またね。柿本さん」
手を振るツナに、千種は記憶をたどる。
ボンゴレ、ではない、彼の名前を。
「……ツナ」「は、はい!?」以前彼の守護者が呼んでいた呼び名を口にして、その反応から
間違いではないことに安堵した千種は口の端を上げた。
「千種、でいい。それじゃあ、また」
千種はそのまま足を進めた。
その足取りは、来るときとは比べ物にならないほど軽かった。